Made in USAカタログ が始まりだった?

スケートボードとの出会いはPOPEYE?
1962年に生まれて、6歳から九州で育ったんだけど、そのころ遊び道具は小1の時買ってもらったローラースケート、あとはゴム動力の飛行機、パチンコ(ゴムでそこら辺の石をとばした)、ゼンマイ動力のプラモデルだったねえ。中学から東京に来たが、兄が買ってきたMade in USA catalog(75年)はショックだった。アメリカのいろいろなもの、色、形がすべて新鮮だった。ダウンベストがほしくって、はじめて買ったダウンベストには「キドニーウォーマー」がついていなかった。その後「山幸スポーツ」で買った。かっこいいと思ってた。でも記憶が確かなら、スケートボードにあこがれたきっかけはもしかして、「特ダネ登場!」に出たアキ秋山さんだったよな気がする。74年頃にはローラーゲーム(東京ボンバーズ、懐かし・・)のテレビがやってて、ローラースケートリンクなんてのもあったよね。でもアキさんのカットバック(フロントサイド)はかっこよかった。司会の押阪忍さんの前で決めていた。あとはテレビでデビルマン西岡さんがウォータースライダー(豊島園?)を滑ってましたっけ。後に皆さんとお目にかかるなんて想像すら・・・

POPEYE育ちは多いのでは?

76年のPOPEYE創刊は大きなニュースだった。
平凡出版から出版された"POPEYE"は僕らにとって大きな変化の原動力だった。フリスビーとスケートボードすぐに飛びついたけどね。とにかくアメリカって「リュック(ディパック)しょってスケートボード片手に学校へ」というイメージだった。ぜ〜んぜん実践不可。制服学ランだったもの。放課後に近くの坂道で滑ってた。


Skateboard買ったよ!

近くのスポーツ店に陳列してあったのがD&Mのウッドボード。あこがれて学校帰りにショーウインドーに張り付いていた。ウィールが真っ黒けのベアリングが玉っころのやつ。路面の小石をかんで急に止まる奴だった。デッキテープなんてなかった。トラックは3つのビス(木ねじ)で止まっていた。ラバーも真っ黒のゴムですぐに固まってしまった。雑誌に出ていたイメージとは違っていた。琥珀色のウィールにあこがれた。

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