再び・・・新たなるブームが・・・('86) 

Marviee's Ramp  

渋谷のパークが閉まるのを聞いたのが70年代のおわり頃だったろうか?今(2006年)は渋谷東急文化会館自体が既になくなってしまっているが、何故かスケートのブームはあっという間に過ぎ去ってしまったような気がする。渋谷時代、最終的にThe Surfのアキさんから声をかけてもらってお店で作ってもらったファットボード(メガトロントラックとクリプトニクスのコニカル、クリアーのデッキテープにThe Surfのステッカーを3枚重ねて貼った。キックがあまり強くなくってホイルアーチなども自分で加工した。あ〜写真が残っていないんだ・・・残念)に乗ったのを最後にスケートに乗ることはなくなってしまった。社会人になったのだ。会社ではスキー、ウインドサーフィン、スノーボードなどに走り(ウインドサーフィンは丸井ジャパングランプリ(DNSだった。笑い)、などコースレース、スラロームがおもしろかった。スノーボードはバートンの板にまだビンディングがついていなくって、ノーズにヒモ、グリップみたいのがついていて、後ろ足はゴム製のストラップに足を入れる代物だった。その後にハードブーツ、ソフトブーツの時代が来た。クレイグ・ケリーのすべりが強烈で一気にはまった。現在そのすべりを見ることができないのが残念でしょうがない(ケリーは2003年、バックカントリーボーディングのツアーにて雪崩に巻き込まれ死亡(享年36歳)合掌・・・)。ハードブーツでエアーをバンバン決めてたダミアン・サンダース(この間のオリンピックからボーダークロスが種目になったが、ダミアンが考案したのだ、というのは知ってるよね〜)もかっこよかった。ハーフパイプの種目にあこがれたが、大会はすべて玉砕。むしろスラロームにはまっていった(ビクトリアカップにて4位が最高。ここでローズ松島に再会した)。 さて、話題がそれてしまったが、86年頃に再びスケートのブームが来たらしい、というのはあまり知らなかった。しかし、そのころ世田谷の環8を車で走っていたら、なにやらガソリンスタンドの跡地に足場ができており、ランプらしき造作が目に入った。これが「マービーズ・ランプ」との出会いだった。完成予定を聞いて、完成してすぐに遊びに行った。70年代の板を持ってね。グラインダー、フロントサイド、バックサイドのエアー、ロックンロールなど、久しぶりに楽しんだ。これが「再び」といえるゆえんである。マービーさんのお店でマークゴンザレスの板を購入し、仕事帰りに練習に励んだ。星野がうまかったなあ。いつもいろいろな顔ぶれが集まり、吾郎、江川(役者さんになったんだっけ)、その他いろいろな仲間達と滑った。「チームマービーズ」を作ったね。誰が隊長だったか?マービーさんだろうね。オレが最年長だったが。マービーズは意外と仲良しグループみたいで、和気藹々とやってたなあ。この頃の練習が、ロックスライド、フェイキーロック、レイバック、アクスルストール、ジャパン、アーリーウープ、メソッド、インディなどのエアのバリエーションだった。ハンドプラントはフロント、バックともにメイクした。インバートとかレイバックエアー等とも呼ばれていたねえ。その後、マグナッソンの板を購入。今でももっている板だ。今のブームで鵠沼に行った時、「オールドスクールのおじさん」と呼ばれたのはこの板のせいか?オレのせいか?(笑い)ある時、横浜の氷川丸上で大会があり、ボーンズブリゲードチームが来日。この時、キャバレロがランプ上でミラーフリップをメイクしていた。これがかっこよかった。すぐに練習を始め、1ヶ月ほどでできるようになった。この技をもって、大会にのぞんだ。静岡のパルバルランド(?)で行われたオールジャパンだ。ボクはもう26歳だったから、メンズクラス(24over)。予選を勝ち抜くまでミラーフリップは全部失敗。しかし、決勝ラウンドでメイク。その結果メンクラス2位をゲットしたのだ。アマチュアとしては最高の気分。この大会では豊田とかものすごいエアーを決めていた。静岡テレビで取材されていたけど、見てみたいなあ。

 平塚ウイザード、シットハウス等のランプも遠征で行っていた。いろいろなランプで楽しく滑った。小川元くんなんかとも滑ったなあ。

 

   

 ココがピークかなあ?マービーさんアリガト!  

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